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 流山〜松戸〜市川
流山は、新選組を築き上げてきた近藤勇と土方歳三が袂を分かつことになった場所です。
この地で近藤は板橋に護送され、最期を迎えることとなります。
今回は、流山や松戸そして市川と電車を乗り継ぎ、新選組が甲陽鎮撫隊を経て江戸を去った後の足跡を追ってみました。
総武流山電鉄
史跡の位置は地図上の印で表しています。

大林院跡
1868年(慶応4年)4月12日、この地で旧幕府軍による軍議が開かれ、土方歳三は先鋒軍として宇都宮に向かう会津藩士・秋月登之助の参謀として従軍します。
JR総武線市川駅下車〜徒歩5分 地図


千壇家
近藤勇が、流山に向かう途中に滞在した宿と伝わります。
当時の記録が残っているわけではないので、やや信憑性に欠けますが、大正時代までこの地は江戸と下総を結ぶ重要な宿場だったようです。因みに、このホテルのパンフレットには”新選組隊長近藤勇が下総流山に向かう途中で滞在した宿”として紹介されています。

JR常磐線松戸駅下車〜徒歩5分 地図
 

長岡屋跡
1868年(慶応4年)4月1日、流山に向かった新選組は長岡屋と
光明院に陣を構え、2日には野外訓練を開始していました。しかし、3日近藤勇は東山道軍からの尋問を受け出頭することになります。
この時近藤勇は”大久保大和”と名乗っており、
板橋でもその名で取り調べを受けていました。しかし、薩摩藩兵として従軍していた元新選組隊士(御陵衛士残党)加納鷲雄に正体を見破られ、薩摩藩と土佐藩との協議の末、4月25日に斬首。その波瀾に満ちた生涯を閉じたのでした。
総武流山電鉄流山駅下車〜徒歩10分 地図
 

 

光明院
1868年(慶応4年)4月1日、流山に向かった新選組は
長岡屋と光明院に陣を構えます。
ここで”山口”という人物が目撃されていますが、それが斉藤一(山口次郎)だったかは定かではありません。
総武流山電鉄流山駅下車〜徒歩16分 地図


流山市立博物館
長岡屋の階段が平成16年から再び展示されるようになりました。流山周辺の歴史を紹介する常設展示を含めて一見の価値あり。
千葉県流山市加1丁目1225-6 TEL.04-7159-3434
開館:09:30〜17:00
休館:毎週月曜・国民の祝日・年末年始・月末
総武流山電鉄流山駅下車〜徒歩5分 地図

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