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 函館

函館は、日本全土を巻き込んだ戊辰戦争の最後の舞台となった地です。
新選組副長・土方歳三も、この地で壮絶な死を遂げました。
この小さな街は、教会や外人墓地といった西洋の雰囲気が漂う一方、箱館戦争で散った人々の爪痕を色濃く残しています。
元町の坂道や函館山を登ろうとしなければ(笑)、函館はレンタサイクルがお薦めかも知れません。
市電は約10分おきに出ているため比較的便利ですが、五稜郭や弁天台、場碧血碑などは駅から少し歩かなければならないため、時間が惜しいと思われる方は自転車をお薦めします(因みに私は中島三郎助父子最期之碑を探しているうちに函館駅から五稜郭まで歩いてしまいました…笑)。

史跡の位置は地図上の印で表しています。


五稜郭
日本最初の様式城郭。榎本武揚を総裁とした旧幕府軍は、五稜郭を本陣として新政府と戦います。現在は兵糧庫のみが残存し、五稜郭公園として整備されていますが、余りにも広大過ぎて全景を見ることは困難です。全景を見たいという方は、五稜郭タワーの展望台がおすすめですが、これも星形の全貌を把握するのはやや困難かもしれません。とにかく広大なのです。冬の雪に覆われた星形の遺構は圧巻。
 1*五稜郭内土饅頭…片上楽天が調査した結果、伊庭八郎以下8名が埋葬されているとした場所。現在は、歴史的根拠がないとして放置されたままですが、真相はさだかではありません。
 2*兵糧庫…五稜郭内に現存する唯一の建築物。現在、工事中。
JR函館駅〜市電五稜郭公園前〜徒歩10分 地図
 
1*2*

市立函館博物館五稜郭分館(五稜郭内) 
箱館戦争に関わる資料を展示しています。その数。387点。
1階は箱館戦争の経過を紹介し、2階は五稜郭築造に関する資料や箱館戦争に関わった人物の資料を展示しています。
玄関右手には当時の五稜郭庁舎の屋根が展示されています。
JR函館駅〜市電五稜郭公園前〜徒歩10分(五稜郭内) 地図
 

五稜郭内井戸
五稜郭内に現存する井戸。

土方歳三の銅像
洋装の全身像です。
五稜郭タワー向かいの駐車場

一本木関門跡
明治2年5月11日、新政府軍の攻撃に際し一本木関門で守りを固めていた土方歳三は、一発の銃弾によって最期を遂げます。
「土方歳三最期の地」と刻まれた石碑は、道路中央のグリーンベルトにありましたが、現在では若松緑地公園(函館市総合福祉センター)の一角に移動されました。
JR函館駅〜徒歩10分 地図

中島三郎助父子最期之碑
箱館奉行並の中島三郎助は、長男・恒太郎と次男・栄次郎と共に千代ヶ岡陣屋を守備しますが、新政府軍の総攻撃に会い、父子共々壮絶な最期を遂げます。
JR函館駅〜市バス西武・テーオー前〜徒歩10分 地図


称名寺
箱館戦争当時、新選組が屯所として利用していた寺。土方歳三の供養碑や野村利三郎の墓があったという記録があるそうですが、称名寺は火事で弥生小学校から現在の場所に移転し、境内にある土方歳三と新撰組隊士の供養碑は昭和48年に有志によって建てられたものだそうです。
JR函館駅〜市バス称名寺通〜徒歩3分 地図
 

高龍寺
箱館戦争当時、榎本軍負傷兵の仮病院として使用されていましたが、新政府軍が乱入し旧会津藩士など多数が斬殺されたそうです。境内には傷心惨目の慰霊碑が建てられています。
JR函館駅〜市バス高龍寺前〜徒歩1分 地図


弁天台場跡
武田斐三郎の設計によって海面を埋め立てて築かれた六角形の要塞。
明治2年、新政府軍の総攻撃によって陥落します。
現在は取り壊され、工業地帯に碑が建つのみです。
JR函館駅〜市電函館どっく前〜徒歩5分 地図


碧血碑
箱館戦争における戦死者を祭った碑。明治8年に榎本武揚・大鳥圭介らよって建設されました。碧血碑は、「義に殉じた武人の血は3年経つと碧に変わる」という中国の故事に由来しています。
JR函館駅〜市電谷頭町〜徒歩15分 地図


亀田八幡宮
亀田八幡宮の旧社殿の羽目板には箱館戦争当時の弾痕が残っています。
JR函館駅〜市バス宮前町〜徒歩10分 地図
 

市立函館図書館
蔵書だけでなく古写真などの郷土史料も保存されています。展示室はありませんが、手続きをすれば、箱館戦争関連の古写真などを閲覧することもできます。
土方歳三半身像の目を修正したプロマイドも、こちらで閲覧できます。
JR函館駅〜市電青柳町〜徒歩5分 地図


箱館病院跡
榎本武揚とともに箱館にやってきた高松綾雲は、市立函館病院の前身であった箱館医学所で敵味方関係なく患者の治療にあたったといわれています。
また、明治2年(1869)5月12日、新政府軍は旧幕府軍が武装を解除し保護下に置いていた箱館病院に使者を送り、台場と五稜郭への和議を依頼したと言われています。
JR函館駅〜市電末広町〜徒歩5分 地図


箱館奉行所跡
幕府大目付であった永井尚志は、京都時代から新選組と関わりを持ち、榎本武揚とともに蝦夷へ渡った後も箱館奉行の任に就きました。
明治2年(1869)5月11日、
永井尚志は台場総督として新選組と共に弁天台場で籠城戦を行うことになります。
JR函館駅〜市電末広町〜徒歩5分 地図


沖の口役所跡(現・旧西警察所)
新選組の警備拠点のひとつ。
JR函館駅〜市電大町〜徒歩1分 地図

ペリー提督来航記念碑
ペリー提督が函館を訪れたのを記念して建てられた銅像。
JR函館駅〜市電大町〜徒歩10分

ペリー会見所跡
ペリー提督との会見を行った場所。
JR函館駅〜市電大町〜徒歩1分

函館市写真歴史館
幕末に活躍した写真家やカメラの仕組み、歴史を紹介。
土方歳三の写真を撮ったと言われる田本研造についても紹介されています。
JR函館駅〜市電大町〜徒歩8分

咬菜園跡
明治2年(1869)3月4日、旧幕府軍追討令が下り官艦が品川を出港したとの報を聞いた榎本以下幹部は、咬菜園で今宵最後と夜通し飲み明かしたと伝わります。
現在は個人宅になっています。
JR函館駅〜市電末広町〜徒歩8分

己巳海軍戦死碑
明治2年(1869)の箱館戦争で戦死した新政府海軍慰霊の墓所です。箱館湾海戦で沈没した朝陽艦の戦死者73名の名が刻まれています。
ここは、弥生坂から更に急な坂を登らなければなりません。ゆっくり自分のぺ−スで登って下さい。
JR函館駅〜市電末広町〜徒歩10分

土方歳三函館記念館
函館における土方歳三にスポットを当てた記念館です。
土方ゆかりの資料や幕末関連の資料を紹介。パネルやビデオによる解説も丁寧で分かりやすく纏められています。
五稜郭公園〜車15分

■江差■-----------------------------------------------------
江差は、函館からJRで約3時間と少し時間が掛かります。
主要な史跡だと一日で充分回れますが、午後5時には無人駅になるのでご注意下さい。
※コインロッカーもありませんので荷物などもご注意下さい。
江差町商工観光課 http://www.hokkaido-esashi.jp/

開陽丸青少年センター
開陽丸にまつわる歴史、人物をパネルで紹介。江差のお土産もこちらで手に入れることができます。
開艦時間:09:00〜17:00
休艦日:4〜10月無休 11〜3月毎週月曜日・祝日の翌日
入艦料金:大人700円 小中高生300円
JR江差駅〜徒歩15分

開陽丸遺跡
万延元年(1860)、幕府の命によって製造されたオランダ製の戦艦。高い性能を誇る戦艦でしたが、その能力を発揮することなく江差沖で座礁。
近年、海底調査が行われ引き上げられた遺物やオランダで発見された設計図をもとに開陽丸が復元されました。
船内には、当時の様子や大砲を再現し、シミュレーションも体験できるようになっています。潮風が吹き荒れる甲板はお薦め。北の厳しさを体験することができます(笑)。
開艦時間:09:00〜17:00
休艦日:4〜10月無休 11〜3月毎週月曜日・祝日の翌日
入艦料金:大人700円 小中高生300円
JR江差駅〜徒歩15分

徳川幕府砲台跡
幕府が築いた砲大跡。小高い岸壁に位置し、江差湾が一望できます。
(天候によってはかなりの暴風ですのでご注意下さい)
かもめ島〜徒歩7分

旧檜山爾志郡役所(土方歳三嘆きの松)
開陽丸が江差沖で座礁した際、土方は役所の前に建つ松の木瘤を叩きながら男泣きに泣いたと伝わります。
旧檜山爾志郡役所は延宝6年伐採取締番所から檜山奉行所を経て、明治20年に現在のような洋装建築に移行しました。近年、内部の壁に貼られていたと思われるクロスが発見され、見事に再現されています。建物や内装は一見の価値あり。
開館時間:09:00〜17:00
休館日:4〜10月無休 11〜3月毎週月曜日・祝日の翌日 12月31日〜01月05日
入館料金:大人300円 小中高生100円
JR江差駅〜徒歩20分

沖ノ口番所跡
JR江差駅〜徒歩6分

戊辰の役戦死者の墓(護国神社)
江差での戦闘で亡くなった新政府軍兵士92名が葬られています。
松前藩を始め、弘前、長州、徳山、大野、水戸、岡山、福山(広島)、久留米など、遠方からの諸藩が多いことに驚きました。
JR江差駅〜徒歩6分

当サイトでは、個人宅、並びに墓所の写真掲載は控えさせていただいております。
 なるべく説明板などで代用できるところは掲載しておりますが、どうかご了承下さい。

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