数々のエピソード
ここでは、土方歳三の知られざる逸話を紹介します。
鬼副長とまで呼ばれた土方歳三の意外な一面。その魅力的な行動にますます虜になることでしょう。

 いとう松坂屋奉公に挫折

11歳 (1845) 

歳三は、姉ののぶが佐藤家に嫁ぐ頃奉公に出されます。奉公先は当時有数の豪商で知られる”いとう松坂屋(現在の上野松坂屋デパート)”でした。
頑張って奉公すれば商家のエリートも夢ではなかったのに、気にくわないことでもあったのか、ある晩店を飛び出してしまいます。上野から実家まで約40km。およそ10時間もかけて歩いて帰ったといいます。

 大伝馬町の商家に奉公、店の女と関係する

17歳 (1851) 

歳三は再度、大伝馬町の商家の奉公に挑戦します。が、今度は店の女と関係を持ってしまいます。17歳といえばもう立派な大人。しかし、この件でまたもや商人への道は断たれたのでした。この頃から、歳三は剣に没頭していくようになります。

 報国のこころをわするる婦人哉

29歳 (1863) 

歳三が上洛間もない頃、小島鹿之助に宛てた手紙で詠んだ句です。さらに、「尚々拙義共、報国の有志と目かけ婦人しとい(慕い)候事、筆紙に尽くし難し 先、島原にては花君太夫、天神、一元、祇園にてはいわゆる芸妓三人程之有、北野にては君菊、小楽と申し候まひこ、大阪新町にては若鶴太夫、外二、三人も之有、北野新地にては沢山にて筆には尽くし難し、まずは申し入れ候」と馴染みの女たちを綴り、思いっきり自慢しまくっています(笑)。新選組が激務に励む傍ら、島原や祇園などに通っていたのは有名な話ですが、それにしてもこの頃の土方さんはちょっと有頂天になり過ぎていますね。

 汝等吾レ二与セヨ〜枕投げ事件

34歳 (1868) 

宇都宮の戦いで足を負傷した土方歳三は会津若松にある清水屋で療養中でしたが、ある日同宿していた元神奈川奉行所定役元締の望月光蔵に「汝等吾レ二与セヨ(お前達、私に協力しなさい)」と命じました。その態度があまりにも傲慢だったため、望月は腹を立て「自分は会津藩に従う」と答えたところ、歳三は「憶病者」と叫んで枕を投げ付けたといいます。戦場に立たず、なおも消極的な姿勢に苛立ちを覚えたのでしょう。しかし、枕を投げ付ける光景を想像すると、なんだか笑ってしまいますね。

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